岡井 真紀(1964年9月生)

奈良県出身
奈良高校、京都薬科大学卒業。薬剤師
25歳で結婚し愛媛県の岡井薬局に嫁ぐ
28歳でSLE完治、娘と息子が生まれる。

高校2年17歳でSLE発症する。毎晩40℃以上の高熱に悩まされていた。22:00頃からすごい悪寒を感じ、0~1時頃ピークを迎え、それから熱は下がってくるのだが、止まらない汗。のどがカラカラで2階の自室から台所まで這って行ってコップ2杯の水を飲む。その位のことしかできなかった。朝7時頃、毎日「今日は熱があるので欠席します」と学校に電話していた。夜は苦しすぎて眠れず、昼間熱が38度台になってから寝ていた。近所の診療所に通院したが「風邪でしょう」と言われ風邪薬と点滴で過ごしていた。このころにはご飯粒が固くて何も食べられない状態になっていた。脱水がひどく舌は真っ黒になった。
この熱は最高で41.5度にもなり2か月続いた。母が何駅か離れたところにある総合病院に連れて行ってくれた。この時は衰弱しきっており、診察を待つ間、待合室で倒れてしまった。もう動けない立てない感じだった。とりあえず、ナースステーションのベッドに寝かされ、病床が満床だったため、救急室での入院となった。
この日の夜、呼吸困難を起こした。苦しくて訳のわからないことを口走り、暴れた。(後日、レントゲンで肺に繊維が出て真っ白になっていることが分かった。)私はすぐに持続点滴を付けられ、鎮静剤をうたれ、酸素マスクをかけられた。一日入院が遅れたらどうなっていただろう、家で呼吸困難が起こり、あの状態が続けば死んでいたかもしれない。ここで重傷のSLEと診断された、この病院には3日程いて奈良医大に搬送された。奈良医大では、私くらい(17歳)の人や20代になったばかりの人もいた。歳が近いことでみんな仲良くなった。後で知ったのだが皆、重症の膠原病か白血病だった。毎日のように一人死に二人死にみんな「まだ死にたくないよう」と言いながら死んでいった。幸運にも私は生きることができた。もう一人Sちゃん、この人は白血病だったが輸血のためC型肝炎を発症し、そのため自己免疫があがり、白血病が治ったのだった。(丸山ワクチンと同じ理屈)Sちゃんは今も元気で、戦友のような存在だ。
結局、私たち二人以外はみんな死んでしまった。
私はステロイド:プレドニン5mg 8錠から治療を始めた、パルスも4回受けた。でも進行を抑えるだけで治る見込みはなかった。今の医療はおかしいんじゃないかと思ったのはこのころ。患者は良くなればいいのだから漢方薬でも、健康食品でもやればいいのにと思った。それで高校を一年休学して、文系芸術志望から理系医療系志望へと進路を変え、薬剤師になった。
それからは、毎日漢方薬と健康食品の勉強をした。
2年ほどたった頃だろうか、「小柴胡湯によるステロイドの漸減療法について」という論文を見つけた。(大阪大学によるものだった)
さっそく、小柴胡湯を買い、ステロイドを減らしたい一心で併用を始めた。10年かかったがステロイドは順調に減り、SLEも治ったのだ。それからバイオリンクを知り、バイオリンクに切り替えた。それ以降、再発再燃はない。
これは私だけに起こった奇跡などではない、今なお西洋医学(医療)だけを頼って治らないとあきらめている人たちが多くいる。その人たちに私は言いたい。視野を広げてバイオリンクなどの優れた健康食品があることを、漢方薬があることを知ってもらいたい。
そのために、このホームページを作りました。